puti-pudding の冷凍庫

過去も未来も現在も。少しだけ人と変わってるかも。

ソープで働き始めたきっかけpart7

前回のブログでも書きましたが、初めての風俗は、池袋の北口トキワ通り。当時、スイカというマットヘルスが超人気でしたが、

 

マットマックスはその次に人気店でした!

 

確か遅番で夕方からラストまでお客さんがつきっぱなしで、1日3万から4万だったかな?

 

ただ、キャバクラからヘルスにいくのはとても勇気のいる行為でした。

 

キャバクラの女の子は風俗をとても怖いところだと思っているので、六本木の喫茶店(なんとかパリみたいな系列店みたいなやつかな?)で、

 

みんなに止められました。

 

「ヘルスに行ったらエイズになるよ!」とか、「子供が産めなくなるからやめな!」とか。

 

キャバ嬢からしたら、お客さんとはえっちしないのが美徳なわけですし、体を張るなんてとんでもないことだって言うわけです。

 

私みたいに、お客さんに誘われて、駆け引きができず、なんでもやるガッツがある場合風俗の方が向いているのかもしれないなーって何日か迷って考えてるそのうちに思うようになりました。

 

というかお金に困っていた、というのがもちろん一番のきっかけですけどね。

 

前にも書きましたが、学生ローンで80万借金を作ったのに、しんちゃんや、ホストやらからお金をたかられるわけでしたので…

 

ヘルスはしんちゃんに勧められたのがきっかけではあるものの、

なんとなく途中で自分でも決心がついていたので、みんなに止められつつも、

頑なに拒みました。

 

というか、偏見みたいな職業差別的な意見をきいているうちに、なんとなく、

ヘルス側に寄っていってしまったのもあります。

 

私はやってみるぞ!みたいな…

 

キャバクラで、お酒を頑張って飲んでいるうちに、

 

(というか、私はNo.1の女の子にボトル開けてくれと頼まれ場内指名で席移動できないようにされたり、

マネージャーにあの席のボトル開けてきてくれ、と頼まれて飲んでたんですが)、

 

「あいつなんでいつも酔ってるわけ?」てきな雰囲気になり、

私が酔ってることを悪く言う雰囲気(No.1の女の子とマネージャーのぞく)

ができ、

あのキャバクラに居づらくなった雰囲気のタイミングもありましたので…

 

 

マットヘルス、

マックスは、男の店長が講習でした。

遊びまくってる店長なので、いろんな技を知っていて、

未だに、マックスで教わった技を使っていますが、大好評です!

みんなあれをやるといきそうになります!

 

ソープでは教わらない技です!

あの店長、どこであの技を覚えてきたのか、と未だに思います。

 

マックスは、いま思えば、同い年の女の子ばかりで和気あいあいとしてていいお店でした。ボーイさんも若くて、暇な時は控え室で、ボーイさんにガリガリ君買ってきてもらって。

 

みんな仕事中はスケスケのベビードールなんだけど、

そのアイスをあれに見立てて、エロ写メごっこを、写ルンです、って撮ってみたり。

 

てゆーかのちのち、そのふざけて撮ったエロ写メごっこの写真を入れていたアルバムが、実家に送る荷物に紛れてしまい、親に見られて怒られるという事件になったのですけどね…。

 

しんちゃんとも次第に合わなくなり、

というか、次第にホストとの関係が密になっていき、

しんちゃんと会うなと言われるようになっていき、

 

仕事して、今日はいくら稼いだよってホストにメールすると、

お店に来てと言われたら一度も断ることもなく、お店に行くという感じで、

 

さほどそんなにあの時はお金の遣わされ方も強引でもなく、

 

ヘルス時代は三ヶ月で終わるのでした。

 

大学の授業も、キャバクラだと出席重視の授業が出られなかったりしたのですが、ヘルスだと、そういうこともなく、

体的にも時間的にも楽になりました。

 

キャバクラ時代は、5時まで仕事して、電車に乗って、日比谷線で、起きたら栃木にいたこともありましたがヘルスだとそれはなかったし、お酒で時間が無駄にならない!

 

当時、

荻窪の家賃3万の、築30年ボロアパートに住んでて、エアコンもなく、窓も木の枠で隙間風入るし、お湯も出ないし、共同トイレ、コインシャワー、共同洗濯機!

 

日比谷線から丸ノ内線に乗り換えるのになんど国会議事堂前をウロウロしたことか。

 

ある程度平和だったような気がするのですが、

同じお店の先輩が、急に吉原で働き始めて!