puti-pudding の冷凍庫

過去も未来も現在も。少しだけ人と変わってるかも。

ソープで働き始めたきっかけpart11

初めにいたお店は、今思えば、スター選手が沢山いるお店でした。

 

レースクイーンの肩書きのある綺麗でわがままなお姉さんが看板で、雑誌やホームページを飾る。その横に並ぶお姉さん方も、指名のお客さんがたくさんいるような綺麗で派手なお姉さんばかり。

 

わたしは生要員って感じだったと思います。たぶん!

 

でも、どんなに暇でも最低限お客さんつけてくれていた気がします!

 

ある日、目の周りに、真っ青な青あざを作って出勤した時、社長が別室に私を呼び出して言った一言が20年近く前なのに忘れられない(T ^ T)

 

「お前がどんな男と付き合おうが、俺はなんでもいいよ。だけどその男に伝えとけ、商品に手を出すな、って。商品が汚れたら稼がせられないからな」

 

って。

 

そう言ってもらえたら、殴られるのを断る理由になるなぁと思った。

ちょー感動!!!

 

(がしかし、そんな社長も、雇われでしたので、その数ヶ月後、お店のお金を持って飛ぶような人だったんですけどね笑笑)

 

 

その時、私がソープで働き始めて数ヶ月後、頑張った結果、

売れないホストは多少はランキングに入るようになったのです。^ ^

めでたしめでたし!

 

がしかし、売れるようになり、調子に乗って、どんどん私と後輩を殴るようになっていたのでしたー(T ^ T)

 

今じゃ考えられないけど、お店の中で、席で接客してて酔って切れて殴るんです笑笑  

 

考えられないですよね!

 

ホストがしょっちゅう来てくれている客である女の子を殴っていても従業員も誰も止めないんですよ。まだそんな時代でした。

 

もちろんみんなかわいそうに思っていて止めたいんだけど、酔ってるからどうしようもないっていうのもあるし、二人の問題だから余計な口出ししないってのもあったのかと思います。

 

なので、もうそろそろ酔ってきてやばいからこっそり帰りなさいと他のホストに言われて裏口から帰ったこともあるし、

代表や社長が、みかねてそのホストを殴ってかばってくれたこともありました。

 

 

というか、あの頃、女に暴力を振るうホストは普通でした。

 

他のホストもやっていたし、他の女の子もやられていました。

 

そうして女の子達は、青あざを作って翌日仕事に行って、飲みに行って青あざを作って、また働いていたのです笑笑  

 

あばらを打撲して、働いていたことが二回あったのですが、

 

席で殴るのが禁止になり、今度は歌舞伎町ビルの非常階段で殴るんです。

 

理由は忘れました。

 

ビルの非常階段で性処理させられて、おしっこかけられて、殴られて息ができなくなって、前歯も折れたし、鼻も折れたし…

 

顔がだれかわからないくらい腫れ上がったこともあって、

 

それでも出勤していたので、お客さんは私の顔を見た瞬間に帰ると言われたことがあります。

 

そりゃそうだ!顔を殴られまくった女が出てきたら怖いと思う!!!

 

共依存です!

 

その時たまたま放送作家の学校に通っていて、アンビリーバボーを書いてる作家さんが先生だったのですが、

私の話をきいて、

 

それは共依存だと言ったのでそこで初めてその言葉を知りました。

 

激しく自分を必要とする相手と、激しく寂しくて自分を必要とされたい人の依存です!

 

売れないホストは、激しく私のお金に頼り、他のお客さんに営業する努力を怠り、私に激しく頼るようになり、働け働けと殴るようになりました。

 

私は私で、

もともと夜の仕事ではなかったので、夜の世界に友達がいなくて、仕事に行くと1人で浮きまくっていました。

 

友達は、止めてくれたけど全く聞く耳を持たなかったので、どんどんみんな離れていきました。

 

たまに話を聞いてくれる友達はいたのだけど止めたってきかないわけだから止めなくなりました。

 

ソープで働き始めた翌年、ホストにもっと貢ぐために、仕事に専念するため、

大学をやめたいと思い、

 

四年生で卒業間近だったのに、好きなことがやりたいから大学をやめたい!

 

と親に言った。ちょー親不孝者です。

 

父親は好きにしろと止めなかったけど、母親は泣いて東京まで来ました。

が、私は振り切って歌舞伎町へ。

 

頭がどれだけおかしかったのかと思う。

 

薬をやっていたわけでもなく、通常の状態で親を振り切って歌舞伎町へ。

 

 

そうして、どんどん思い込みがはげしくなって、

聞く耳も持たず、一切の孤独になって、ホストとの関係がさらに密になってしまうのです!