puti-pudding の冷凍庫

過去も未来も現在も。少しだけ人と変わってるかも。

ホストのよくある営業の仕方①

初回できたお客さんの席に着くタイミングを大事にしている。

 

初回は2時間5000円など、時間が決まっている場合が多いので、売れている人はまず、最初につくことはない気がします。

 

初回をお店に呼ぶのも昔はホストが色んなところに繰り出してキャッチしてました。

売れてるホストでもたまにキャッチしてました。

 

横浜大魔神の元奥さんが結婚した相手、香咲真也さんはロマンスでちょー売れっ子ホストだったんですけど、

 

真也さんが外に出ると女の子が8人くらいついてきちゃってた笑

 

歌舞伎町だけじゃなくて、吉原の女の子たちが出勤に使う、鶯谷の駅も、昔はホストだらけでした。

 

でも今はいなくなったのでめんどくさくなくていい笑

 

ようはナンパして、食事行ったらそっこーやったり、とりあえず連絡先だけでも交換して、とか、やり方はその人それぞれだけど、

 

売れないホストに限って、一生懸命連絡して、外で会ってわがままきいて、なけなしのお金でおごって、

 

お店にきてくれないということがよくある。

 

誕生日が一番顕著で、

誕生日っていうと、お金を使わされるイメージがあるので、女の子はみんな行きたくないのです。

本人のお客さんのドタキャンが多くて、結構お客さんが来なくて暇で、周りのホストがお客さん呼んでくれてうまる、って場合もありますけど。

 

だから私は絶対裏切らないよ、っておもっちゃって頑張っちゃったんですよね。

 

一番かわいそうだなぁと思ったのは、

売れてないホストで

 

「初めて今日お客さんが来るんだけど誕生日らしいんでお願いします。」と先輩に言って、先輩もみんな喜んでた。

 

その売れないホストがなけなしのお金で小さいケーキと花束を用意した。

 

 

でも来なかった笑

 

しょうくん、いい人なんだけど、ビッグマウスなので、みんな来ねーよ、と言ってたけど、本当に来なかった。

笑い事ではない。かわいそうだった。

 

酔って泣いてたよ…

 

ホストとしてある程度売れてしまって、売り上げランキングに載るようになれば、自然と昇進して役職もついてくるから、自然と、

初めてお店にきた初回の女の子が「まるまるくん席について!」って声がかかるようになり、

 

ホストクラブマジックで、顔がかっこよくなくても、役職あるだけでモテたり、この人売れてるんだって、ってだけでモテたりするから、

 

とりあえず売れるために何をするかっていうと、

言い方が悪いけど、誰もが避けるような、痛い客に頑張る。ランキングに載るのが大事なので。

 

痛客とは、

痛々しい、来て欲しくないようなお客さん。ホストやってると、性格が悪いお客さんが一番嫌だと思う。うちらもそうだけどね。

 

太っててブサイクでも性格がよければいいけど、清潔感もなくて、

本当に性格が歪んでて、

ホストをものとしか思わず、ひどいことしか言わなくて、酒を周りに強引に飲ませるとか、

気に入らない奴ついてると無視とか、とにかく性格が醜い。

 

あとは美人だけど半端なくわがままとか…

 

想像つかないだろうけどホストにきてる痛客って本当にひどい!

 

店の前で「私のまるまるくん!全然やってくらない!」と叫んだり人前でパンツ見せて、抱きついたり…こんなもんじゃないんだけど、今思い出せないのでかけない。

とにかく痛々しい。

 

売れっ子は相手にしないようなお客さんです。そんなお客さんいなくても売れてる人はやってけるので。

なので、あぶれてるお客さんにがっついて頑張る。

 

連絡もマメにしてあげて、一緒にいてあげて、やったりもしてとにかく根性で我慢。

何言われても、何されて恥かいても我慢。

 

そーゆう人、意外とお金使ったりする。誰にも相手にされないから。

 

そこでちょっと、トイレ掃除から抜け出すと、徐々にお客さんの層が良くなるって気がする。

 

18年毎日のように行って、色んなホスト観察してたから、そーやってのしあがって、どんどんオシャレになって、売れてった人みました^_^

 

 

 

 

 

ソープで働き始めたきっかけpart9

しんちゃんが勧めて働き始めたマットヘルス   マックス。

 

そこで仲良くしていた女の子のうちの1人が、急に大宮に帰ると言ってお店をやめた。

しばらくして電話がかかって来て、

大宮のヘルスで働いていたんだけど、

系列のソープで働らかないかとお店の人に勧められて迷っているとのこと。

 

本番があるかないかってことですので、手取りも大きく変わって来ます。

 

その代わり、子宮の負担が出て来ますので、体も疲れるし、体にかかる負担、病気のリスクも増えます。

 

もちろんヘルスでも、性病にかかることはあります。口からあそこに、あそこから口に、口から口に、という場合ですね。

あとは、指入れなどで子宮内膜症になったり、雑菌が入ったり…

 

それで、ヘルスに働いている女の子は、キャバ嬢が風俗をバカにしているのと同じように「ソープに行ったらエイズになる!」とか「子供がうめなくなる」と言っていました。

 

今から思えば、他の風俗に比べ、やっぱり体の負担の確率がぐんとあがるので、警戒するのは正解かと思います。

 

それでそのヘルスの大宮出身の先輩は、なにかお金の事情があったのか、悩んだあげく大宮のソープに行きました。

 

もしかして、年齢がいっていたので、

ヘルスだと稼がせてあげられない、お客さんをつけてあげられないと言われたのかもしれないですね。

 

ソープの方が値段は高いのですが、

内容がきつくなり、働こうと思うとハードルがぐんとあがるので、若い子の確率は減ります。

 

なので、ヘルスは若い女の子主体になってしまい、年齢が30くらいになるとお店によってはお客さんうけが悪くなるのでした。当時ね。今はわかりませんが。

 

その先輩としばらく何度かやりとりしていたのですが、

なんだか急に、今度は吉原で働くということでした。

 

吉原の男爵という、麗嬢グループという大きなグループのお店です。当時、吉原でとても流行ってるお店の一つでした。

 

65000円のお店で、手取り4万かな?指名料は5000円だったような気がするけど、もう忘れましたが、たぶんお店は激混みでした。

 

稼ぎが急に増えたから、そっちにこない?っていう話でした。

 

私がホストに言いなりに店に呼ばれ、毎回高額な売り掛けをつくらされ、月末の締め日になるとお金を作るのに必死で働きづめになってるのを知っていたので

 

誘われたのだと記憶しています。

 

さすがにソープは怖かったです。

 

ましろさん(ホスト)に相談したところ「ソープいけよ」って即答だったので、

 

まぁ、そーだよな、と思ったけど、それで腹をくくりました。

 

面接に行く日、一緒にカラオケに行って、鶯谷の駅まで付き合ってもらったことを覚えています。

 

ホストにとって、少しずつお金を使わせ、女の子がお金を払う。

今度は少し高くお金を使わせる。

女の子が払う。

 

そうやってホストでお金を使うことに麻痺させて、どんどん高い売り掛けをつくらせて、女の子が自ら風俗に、そして最終的にはソープに落ちて行くのは、

 

向こうの望むところなのです。

 

月末の締め日にその月のナンバーを決める大事な日があるのです。

 

売り掛けを払うのは大概締め日から2日後くらいですかね。

 

締め日のラストオーダーでいくら使うか。

例えば、ナンバー4だとして、ナンバー3になるためには、ナンバー3の人の現時点の売り上げを抜く必要があります。

 

となると、ナンバー3の人が締め日に誰をお店に呼んでいて、

 

いくらぐらいお金を使うつもりなのか、情報をさぐり、予想する必要があります。

 

 

ナンバー3にどうしてもなりたい、あっちはラストオーダーで30万使うつもりらしいからこっちは50万必要なんだ、

頼む!

 

となるわけですね…

 

 

 

 

お仕事日記

今日の最後のお客さん、いい人だったなー。

久しぶりに、自分も癒された!

 

案内で会ったときからニコニコしてて。

 

私も自然とニコニコできた。

 

予約が押してて、時間がずれてしまって、21時半の予約が22時案内になってしまい、

 

終電がなくなるからって、お店の予約が強引に詰めたせいで130分のコースが100分に変更せざるをえなくなったのに、

 

ニコニコしてくれていた。

 

こっちが悪いのに、

向こうがごめんね、100分に変えちゃって、と謝ってくれてた。

 

いい人!

 

そんな人にはサービスをよくしようといつも思う。

 

なにやってもありがとう!って言ってくれるし、

 

ワンピースの話で盛り上がって、世代もたぶん近くて。

 

最近、歳のせいか、同い年とわかると、冷たくされることが多いんだけど、

同い年くらいだね、と笑顔で言ってた!

 

 

なんていいお客さんなんだろう!

 

とても疲れていたので最後のお客さんに癒されたー!(゚∀゚)

ソープで働き始めたきっかけpart8

今書いてるのは2002年くらいの話です。

 

一旦ホストの話に戻ると、

当時はまだ、今みたいに、髪型をスジ盛りしてあんなホストヘアーみたいのはなかった。

ロン毛ブームでした。

 

スーツも、ダブルだったし、ヤンキー上がりの人が多かった。

 

昔のこと、細かいことはよく覚えてないけど、

 

とにかくどうしてそうなったのかあまり覚えてないけど、

 

気づいたら、共依存の関係に。

 

私が指名したホストはもともと売れないホストだったわけなので、

私にがっつり依存。

毎日同伴、毎日お店に行くようになり、

タイムカード作ったら?と言われたり、

従業員より出勤がいいね、と言われた。

 

区役所通りのメトロプラザ1のビル。

 

非常階段の一階で、よく殴られた。

 

当時、ホストは、縦社会が厳しくて、

ホストが上司に殴られるのは当然だった。

 

「飲めないならしゃべれ!しゃべれないなら飲め!」と言われ、

 

新人なんかはお客さんが入れたシャンパンをひたすら何杯も飲まさせられていた。

 

そして酔うと裏に連れていかれて殴られるのは日常茶飯事。

 

私が指名していたホストは、よく喋るけど、飲むことに一生懸命だったし、仕事を一生懸命していた。

 

席に着くと、

 

「ぶさいくはのめ!」と言われてひたすら飲まされ、

シャンパンコールになると、率先してマイクを持ってコールをして、

お酒をぐいぐい飲んでました。

 

そういったストレスの全てが、

 

いつしか私に来るようになった。

 

「お前はのんきに笑って楽しんでるんじゃねーよ」と…

 

最初はお店の中で殴られていたのだけど、そーすると、

 

「店で殴るな」と上の人に怒られる。

 

なので、非常階段の一階で殴られるようになった。

 

あばらをやられた時は本当に苦しかった!

 

「う!息ができない!」と必死に発すると、

 

「しゃべれてんじゃねーかよ」となる。

 

本当に息ができないんだけどなぁ、と思ったんだけど…

 

そんなこんなで、お金を稼ぐと喜ぶようになり、整形して少しでもかわいくなると喜ぶので、

 

前回の続きとなりますが、

 

ヘルスの先輩が吉原に行くときに、

誘われて面接に…

ソープで働き始めたきっかけpart7

前回のブログでも書きましたが、初めての風俗は、池袋の北口トキワ通り。当時、スイカというマットヘルスが超人気でしたが、

 

マットマックスはその次に人気店でした!

 

確か遅番で夕方からラストまでお客さんがつきっぱなしで、1日3万から4万だったかな?

 

ただ、キャバクラからヘルスにいくのはとても勇気のいる行為でした。

 

キャバクラの女の子は風俗をとても怖いところだと思っているので、六本木の喫茶店(なんとかパリみたいな系列店みたいなやつかな?)で、

 

みんなに止められました。

 

「ヘルスに行ったらエイズになるよ!」とか、「子供が産めなくなるからやめな!」とか。

 

キャバ嬢からしたら、お客さんとはえっちしないのが美徳なわけですし、体を張るなんてとんでもないことだって言うわけです。

 

私みたいに、お客さんに誘われて、駆け引きができず、なんでもやるガッツがある場合風俗の方が向いているのかもしれないなーって何日か迷って考えてるそのうちに思うようになりました。

 

というかお金に困っていた、というのがもちろん一番のきっかけですけどね。

 

前にも書きましたが、学生ローンで80万借金を作ったのに、しんちゃんや、ホストやらからお金をたかられるわけでしたので…

 

ヘルスはしんちゃんに勧められたのがきっかけではあるものの、

なんとなく途中で自分でも決心がついていたので、みんなに止められつつも、

頑なに拒みました。

 

というか、偏見みたいな職業差別的な意見をきいているうちに、なんとなく、

ヘルス側に寄っていってしまったのもあります。

 

私はやってみるぞ!みたいな…

 

キャバクラで、お酒を頑張って飲んでいるうちに、

 

(というか、私はNo.1の女の子にボトル開けてくれと頼まれ場内指名で席移動できないようにされたり、

マネージャーにあの席のボトル開けてきてくれ、と頼まれて飲んでたんですが)、

 

「あいつなんでいつも酔ってるわけ?」てきな雰囲気になり、

私が酔ってることを悪く言う雰囲気(No.1の女の子とマネージャーのぞく)

ができ、

あのキャバクラに居づらくなった雰囲気のタイミングもありましたので…

 

 

マットヘルス、

マックスは、男の店長が講習でした。

遊びまくってる店長なので、いろんな技を知っていて、

未だに、マックスで教わった技を使っていますが、大好評です!

みんなあれをやるといきそうになります!

 

ソープでは教わらない技です!

あの店長、どこであの技を覚えてきたのか、と未だに思います。

 

マックスは、いま思えば、同い年の女の子ばかりで和気あいあいとしてていいお店でした。ボーイさんも若くて、暇な時は控え室で、ボーイさんにガリガリ君買ってきてもらって。

 

みんな仕事中はスケスケのベビードールなんだけど、

そのアイスをあれに見立てて、エロ写メごっこを、写ルンです、って撮ってみたり。

 

てゆーかのちのち、そのふざけて撮ったエロ写メごっこの写真を入れていたアルバムが、実家に送る荷物に紛れてしまい、親に見られて怒られるという事件になったのですけどね…。

 

しんちゃんとも次第に合わなくなり、

というか、次第にホストとの関係が密になっていき、

しんちゃんと会うなと言われるようになっていき、

 

仕事して、今日はいくら稼いだよってホストにメールすると、

お店に来てと言われたら一度も断ることもなく、お店に行くという感じで、

 

さほどそんなにあの時はお金の遣わされ方も強引でもなく、

 

ヘルス時代は三ヶ月で終わるのでした。

 

大学の授業も、キャバクラだと出席重視の授業が出られなかったりしたのですが、ヘルスだと、そういうこともなく、

体的にも時間的にも楽になりました。

 

キャバクラ時代は、5時まで仕事して、電車に乗って、日比谷線で、起きたら栃木にいたこともありましたがヘルスだとそれはなかったし、お酒で時間が無駄にならない!

 

当時、

荻窪の家賃3万の、築30年ボロアパートに住んでて、エアコンもなく、窓も木の枠で隙間風入るし、お湯も出ないし、共同トイレ、コインシャワー、共同洗濯機!

 

日比谷線から丸ノ内線に乗り換えるのになんど国会議事堂前をウロウロしたことか。

 

ある程度平和だったような気がするのですが、

同じお店の先輩が、急に吉原で働き始めて!

 

 

ソープで働き始めたきっかけpart6

いつも思いつきで更新しています。すみません。

 

Mビルのしんちゃんとは、六本木のキャバクラで働いている時に出会いました。

 

会社の人と団体でフリーできたお客さんでした。

 

私のキャバクラは今はなき、六本木の交差点から、防衛庁とは反対側に進んだampmの上にありました。

 

安いキャバクラです。

 

客引きが優秀で、フリーのお客さんが結構入ってましたね!

 

そこで知り合った人が色んな人お客さんを紹介してくれて、色んな人に出会い、短い期間でしたがためになりました。

 

お酒を飲むというのが私の売りでしたので、

フリーできたお客さんにも意味もなく、「お酒好きなんですよ。」とアピールして、ボトル入れてもらって、そっこーボトルあけて酔っ払って他の女の子に嫌われて、店泊してみたり…

 

No.1の女の子の席についてボトルあける係にさせられたりとか…

 

Mビルのしんちゃんは、京都の人でした。同志社出身だったかな…

Mビルの寮が広尾にあって、いつも爽健美茶を買って行ってました。

部屋の中、ブラックライトついてました。

 

当時の流行りかな?わからないけど。

 

キャバクラで知り合って、とてもうまいこと口説かれて、セフレになりました!

 

わたしは当時関西弁に弱く、すぐ面白いと思ってしまうところがあったので、

ちょっと好きになってそっこーいいなりになってしまいました。

 

初めてエッチした時に、「大人の関係で」と言われて、そーゆうことなんだ、と納得。

Mビルの社員や、しんちゃんの大学時代の友達が東京に遊びにくるたびに、接待することに…

 

アナルや、おしっこを飲ませることにも興味があり、そういうプレイをみんながいるところでしたり、

隣の部屋のやつのとこ行って、って言われて、

 

しんちゃんは遊びに行ってしまって、隣の人の言いなりになることもあった。

 

とても乱暴でした。いま思えば。

 

その頃、ホストに出会って、お金を使い始めていて、売り掛けができてしまったのでした。

 

しんちゃんに相談したところ、

「お前、ヘルスで働いたら?俺がよく行く池袋のマットヘルスお客さん入ってんで。今より生活楽になんで。」と言われ、

 

しんちゃんの部屋からマットヘルスに面接の電話をしたのは覚えています。

 

結局、しんちゃんにも、「新しいかばん欲しいねん。買ってや」と言われ、新宿のバーニズニューヨークに行きました。

 

ホストより安いとおもったけど、

 

いま思えば何やってたんだろ、と思うけど…

 

ホストに通い始め、最初は現金で払えるレベルだったのに、あーでもないこーでもないと、

 

お酒を飲んだタイミングでキャバクラの給料では支払えない金額の売り掛けをさせられ、

 

普通にMビルの社員であるしんちゃんにもカモられ、セックス接待して、

 

とにかく、好きな相手に自分から都合がいい風になっていきました。

 

ソープで働き始めたきっかけ part5

その不器用なホストから一ヶ月毎日電話が朝晩かかって来て一度もお店に行かなかったのに、

 

ついに一ヶ月後に行ってしまうのでした!

 

 

初めての同伴は信濃屋っていうコマ劇の近くの蕎麦屋さんでした。

お好み焼き屋さんが地下にあるところです!

 

今はもうないのかな?

もう10年以上行ってないのでわかりません…

 

そのホストは長野県の和田村という羽田孜さん出身のところの人だったので、

信濃屋が好きだったように思います。

 

思えば、暴力ホストで、四年半散々お店でお金を使いましたが、

外では一切わたしにお金を使わせない人でした。

 

なので、信濃屋での初めての同伴も

もちろんおごってくれました。今思えばトイレ掃除のホストでお金がなかったのに、見栄ってやつですね。

 

先行投資とかするほど賢くないホストだったので笑

 

「なに?女に払わせると思った?」と笑ってたのが印象的でした。

 

その後お店に行って、社長からなにから、みんな、あいつが客呼んだのか、って喜んでくれたので、

 

上の人もたくさんついて楽しませてくれ、普通に3万くらいの会計で、

アフターもしてくれましたね。

鈴音?だっけ?

 

あの歌舞伎町のとんかつお茶漬けのお店です!

 

階段を上がる時に、パンツパンツとかわざわざ気を遣って下ネタ満載のアフターでした笑

 

安いキャバクラで働いてたので、そんな稼いでないのに楽しかったので、毎週お店に飲みに行ったかなあ?

 

その一ヶ月後が誕生日だったんですよ。

 

お客さんのいないホストなのに見栄っぱりです。

 

事前にいくら使ってくれとかは言われませんでした。

 

でも、好きになってたので、キャバクラの仲良いボーイに「ホストの誕生日っていくらぐらい必要だと思う?」ときいたところ、

 

80万くらいじゃない?と言われて、学生ローンを紹介されました。

 

高田馬場の、カレッジとフレンド田という学生ローンで30万と50万借りれた。

親の名前さえ書けば貸してもらえるやつです。土地も持ってたし。

 

そして、

当日80万を持って誕生日に臨みました。

そのホストのお客さんは私ともう一人しかいませんでした。

 

確か同伴出勤したと思いますが、食事しながら

「おれの誕生日暇だから」と言ってたやうな気がします。

 

でも、男に好かれる人だったので、他のホストたちが自分のお客さんをたくさん呼んでくれてお店は混んでたと思います。

 

誕生日のホストのお客さんなので、

代表やら社長やら色んな人が席について、盛り上げてくれました。

 

そして、ラストオーダーのとき、そのホストが席に戻って来て、急に、「ドンペリゴールド2本入れるぞ!」と言った。

 

私はドンペリゴールドの値段もその時は知らなかったけど、

絶対後に引かないような強引な言い方だったし、こっそりお金も用意して来たので、

「いいよ」と言った。

 

そしてドンペリゴールド二本とシャンパンコールが終わって。

ラスソン。

 

ラストソング。

 

そのお店は、誕生日の時はその誕生日のホスト、そして、普段はその日の売り上げが1番よかった人がラスソンを歌う仕組みだったので、

 

もちろんそのホスト真銀(ましろ)さんが歌いました。

他にもうひとりお客さんがいたのに、私の隣で歌ってくれました。

 

そのお客さんはピンドン(ピンクのドンペリ)を一本入れようとしただけで、泣いてしまったようでした。

 

でも私がこっそり80万を実は用意して会計をすんなり払ったのを見て真銀さんが泣いてしまいました笑

 

ドンペリゴールドを強引に入れた時、

私が払えないと思っていて、私に売り掛けを飛ばれて、自分が借金背負う覚悟で見栄で入れたようです。

 

おそらく上の人に誕生日をイベントでやる以上売り上げいくらあげろと言われていたんでしょうね。

 

だから強引だったわけです。

 

そういう事情、最初から言ってくれたらもっとなんとかしたのに、って思ったけど、

 

向こうが言わないでいたところが余計によかった…

 

そうして、借金を抱え始め、もっとお金を使ってあげたいと思うようになり、

 

キャバクラで出会った、Mビルの社員に相談したのであった。

 

Mビルの社員寮で回された話はまた今度。

ホストより普通の人の方がひどいって場合もたくさんあるのです…